Mogul & Freeride

Miiko’s Room


冬は雪山でモーグルスキーヤー、夏は南の島でリゾートダイバー、
 普段はスポーツクラブ、ダンス(HipHop)、愛犬との散歩などで
体を動かす毎日。
 そんな私のお部屋へ、ようこそっ!

冬(スキー)のイメージに統一したミーコの部屋です。

★愛犬とのスキー旅行
★ワンコとモーグル!
★犬と一緒にスキーしよう!
★ワンコとスノーシュー&スキー!









2018.10.15

「そして、また犬と一緒に」

ハッピーが亡くなり、もうすぐ半年・・・という7月中旬
動物愛護団体から
保護犬(仔犬♂MIX)を引き取りました。


名前は『ピース』にしました。

半年たってもペットロスで
今もハッピーがいないという悲しみは消えないけれど
それまで毎日ハッピーを思い出しては泣いていたのに
ピースが来てから、気づいたら
いつのまにか毎日泣いていない私になっていました。

ピースを引き取るにあたり
いろいろ考えたり葛藤したりしましたが
ピースを保護してくださった動物愛護団体さんや沢山の人達、
ピースを私に託すことを決めてくださった動物愛護団体さんに
感謝の気持ちしかありません。

ペットロスだった私の背中を押してくれて
本当にありがとうございます。

ピースはハッピーではないけれど・・・
見た目も毛の色も全然違うけれど
ハッピーの生まれ変わりだと思って
もしくはハッピーの弟だと思って、大切に育てます



これから少しずつピースとの出会いなど
日々の日記など書いていこうと思います。


(6月下旬、生後2ヶ月で動物愛護団体さんに保護された当時)



(7月初旬、保護犬譲渡会で)




(7月中旬、ピース生後2ヶ月半。うちに来て2日目。)



私、また犬と暮らし始めました。










2018.2.23 (2/23に書いた日記を遅ればせながら5/30UP
「ハッピーが旅立ってから・・・」
 

私の宝物だったハッピー。
大切な相棒であり、かけがえのない存在だった。

私の天使だった。


2月5日の夜、そのハッピーが虹の橋に旅立ってしまった・・・。


翌日、お寺で火葬してもらって
次の日、小さくなって帰ってきたハッピー・・・。

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ハッピーを飼うと決めた14年前
最後まで面倒を見る!と固く心に誓った。

ハッピーが仔犬の頃から
いつか必ず来るハッピーとの別れを想像して泣いちゃって・・・
それ位、ハッピーのことが最初から大好きだった。

ハッピーは初めから私が教える事をすぐ覚えていくほど頭が良くてお利口さん
その賢さにビックリしたものだ。
 
仔犬の頃は元気でやんちゃな時もあったけど、手のかからない本当に良い子で
私の話す言葉のほとんどを理解してる感じだった。
人の言う事は聞くし、
ほぼほぼ他の犬にも人間にもフレンドリーで穏やかな性格だった。

でも一番ヤンチャな成犬期のある一時期、
ちょっとした事であるスイッチが入ってしまうと(物に執着している時にそれを取り上げようとすると)
人にも犬にもいきなり豹変して噛みついた頃があったよね・・・。
ハッピーは噛みついた後は必ず我に返って
「ごめんなさい・・・。(´・ω・`)」
という顔をして、
やがて何事もなかったかのように元の穏やかでかわいい優しいハッピーに戻った。
あの頃は、どこでどうしつけを間違えたんだろう・・・って
自分自身のしつけ方が間違っていたのかなぁ・・・と心配になった時もあったけど
怒るスイッチはわかっていたから、その後は気を付けながら
そんなことをしないように諭しながらしつけていって
風の谷のナウシカがテトに噛まれた時のような気持ち)

やがてハッピーも、二度と噛みつく事もなくなっていったっけ。

そんな事もあったけど、結局は何をしても許せるし、
やっぱり私はハッピーが大好きで大好きでたまらなかった。


「ハッピーちゃん、かわいいでちゅねー♪」

って
ハッピーの顔を両手で挟んで
プニプニするのが常だったし
ただ側にいてくれるだけでよかったよ。

無償の愛って、こういう事を言うのかなって思ったよ。

という毛むくじゃらの生き物は
文句も言わず、
健気に
ただ黙って
側に居てくれて、
忠実で
一途で
真っ直ぐなキラキラした瞳で
飼い主を見てくれる。
無償の愛を与えられていたのは、もしかしたら人間の方だったのかもしれない。

嬉しい時も、悲しい時もいつも側にそっと寄り添ってくれていたハッピー。

その存在に
どれだけ救われたことか・・・。

動物大好きだから、
猫もいるけど、
猫は気まぐれでほぼ放し飼いだから
家に居ない時もあるけど
ハッピーは
私が部屋にいる時は必ず
いつも側に居てくれた。

その存在感は大きいし
ふと目をあげると、
そこには必ずハッピーがいてくれる。
それだけで、
いつも温かい気持ちになれた。
今年の1月14日。スキー後、白馬のロッジにて。
スキーの疲労感とハッピーの余命宣告を告げられて帯状疱疹になって身も心も弱ってた頃。



ハッピーが3歳の時、こんな歌を聞いて(2004.12.16のミーコ日記参照
「ハッピーが死ぬ時は私がちゃんと看取るからね!」
って、まだ若いハッピーを抱きしめながら泣いたっけ。
この歌のように途中で離ればなれになったりなんかしない!
犬小屋の中で1人で逝かせやしない!
私が最後まで一緒にいるよ!側にいるよ!

そう誓った。

あれから14年・・・。

ハッピーと暮らし始めて
とうとう・・・一番来てほしくなかった日がやってきた・・・。
必ず来る日だとわかっていたのに
覚悟もしていたはずなのに・・・
全然覚悟なんて出来ていなかったのかもしれない。

最後はハッピーの顔を撫でて
「ハッピー、ありがとう。ありがとね・・・。」
って言うしか出来なかった・・・。




あれで・・・良かったのかな?

ハッピーは最後まで幸せな犬生を送れたかな?
ハッピーは私と一緒にいて、ずっと幸せだったかな?

私は幸せだったよ。
ハッピーから、たくさんの幸せをもらった。

冬も


夏も

一緒に遊んでたくさんの思い出をもらった。

ハッピーが一緒じゃなきゃ絶対行かないようないろんな場所に連れてってもらったよ。


ハッピーが一緒じゃなきゃ出来ないたくさんの経験もできた。


たくさんのきれいな景色も見せてもらった。


道に咲くたくさんの野の花の名前も覚えた。




普段の生活のほとんど全てにハッピーがいつも側にいて
週末の旅行もハッピーを中心に考えたし
車で連れて行ける所はいつも一緒に行った。


車の後ろの座席はハッピーの指定席だった。


朝起きると、いつもそこにはハッピーが居て
起きてスグ散歩に行き
散歩から帰ってきて
自分のご飯を食べ終えたハッピーは
朝ごはんを食べている私の隣にきて
キラキラした目で、
私を見ておねだりしてたね。

雨の日も、風の日も、台風の時も、


春も


夏も


秋も


冬も

朝夕の散歩は欠かす事なく、
私の隣にはいつもハッピーがいて、この14年間ずっと日課だった。


朝、目覚めればそこにハッピーがいて


夜、一緒に眠る時も、

いつも一緒だった。

時々「飼い主と似てるね。」なんて言われてたけど、もうハッピーは私の体の一部のようだった。
 
偶然シンクロしたハッピーとミーコの表情(2010年10月八ヶ岳ポールラッシュフェスティバルにて)

今までたくさん癒されたし、今までたくさん笑った。


 


ありがとう。ありがとう、ハッピー。ありがとう。
本当にありがとね・・・。

ハッピーを飼うと決めた時から最後まで面倒を見る!と誓ったその誓いを
この飼い主はしっかり全う出来たよね?
でも、その誓いを最後までしっかり全うできて
ハッピーを見送った今の私は・・・
まるで・・・
抜け殻のようだよ・・・。


もうここにハッピーはいない・・・。

ハッピーのいない部屋。
ハッピーのいない散歩道。
ハッピーのいない白馬。
「ただいま。」と家に帰ってもハッピーのいない家。
ハッピーのいないベッド。
ハッピーのいない日常。

ハッピーを失った喪失感・・・。
心にポッカリ穴があくって、こういう事を言うんだね・・・。
空虚感や虚無感で今はいっぱい・・・。


ハッピーと共に過ごした14歳3ヶ月という月日は長いようで短かった。

あっという間だった。



ハッピーがいない今・・・

ハッピーと過ごした月日は
夢だったんじゃないかと思う・・・。












ハッピーがいない日常に慣れなくて、
ハッピーがいないことが寂しくて、悲しくて・・・。
そんな悲しみに押し潰されそうになって
あの日から泣かない日はない。

ハッピーなしで、今までと同じように生きられるのかさえわからなくて
毎日もがいているよ。

まるで自分の体の一部を切り取られたみたいに・・・

呼吸の仕方を忘れて時々胸が苦しくなる。
1日何回ため息をつくかわからない。
あの年末から生理は止まったままだし
1月の帯状疱疹が治ったと思ったら
今度(2月)は唇ヘルペスになるし・・・
私の体の免疫力は弱ったままらしい・・・。

こんなに悲しい気持ちになったことは人生できっと初めてだ。
ママが亡くなった時とはまた違う種類の今までに感じた事のない深い悲しみに
心だけじゃなく、体まで病んでしまったまま、私は今日も過ごしている。






ハッピーのいない世界は色が褪せたままだ。

今は大好きな冬もスキーも嫌いになりそうだ。



春がきて、桜を見る度にきっと悲しい気持ちになるよ。



夏がきても伊豆の海には行きたくないな・・・。



秋がきても紅葉になって冬のにおいがしてもきっと何も楽しくなんかない。


そこにハッピーがいないから。

いつも隣に居たハッピーがいないから。












会いたいよ・・・。

ハッピーに会いたいよ・・・。

会いたくて会いたくてたまらないよ・・・。

どんなに会いたくたって、泣いたって、悲しんだって
ハッピーに二度と会えない。

わかってるけど、それでも
会いたいという思う気持ちは止まらなくて・・・。

会えない現実に押しつぶされて、また涙する・・・。


ハッピーだって、化け物じゃないんだから
ずっといつまでも生き続ける事なんて出来ないんだから・・・って
そう自分自身に言い聞かせて、年末から過ごしてきた。
そう言い聞かせる事でハッピーとのやがてくる別れの時を受け入れようと
自分自身を奮い立たせようとしてた。

ハッピーが逝ってしまって
普通よりすごく頑張って14年も生きてくれたんだから
本当に最後は「ありがとう。お疲れ様。」って気持ちにもなれたけど
やっぱり、それでも、会えないのは寂しくて寂しくて・・・
こんなにも・・・・・ツライものなんだなぁ・・・、と実感する。

悲しみは、いつか本当に癒えるものなのか?・・・とか疑問だし

今はまだハッピーを思い出してちょっとしたスイッチで泣いてしまう・・・。




ハッピーと一緒に過ごした月日は楽しくて幸せで後悔なんてないけど
私が唯一ハッピーに「ごめんね」と謝る事があるとすれば2つある。

1つ目は
抗がん剤を飲ませるために無理矢理薬を口に入れた事。
抗がん剤を飲ませるために食欲のないハッピーに
最初はハッピーの大好きなクリームパンやチーズに混ぜてあげていたけど
そのうち食欲がなくなり何も食べなくなったハッピーに、それでも薬を飲ませるために
クリームパンやチーズに混ぜた薬を無理矢理に口をあけさせて食べさせた事・・・。
何度もイヤイヤをして、喉の奥に入れられたパンやチーズを
舌で押し戻そうとするハッピー。
それを押し込んで何とか食べさせようとする飼い主・・・。

ごめんね・・・。

そのうち、試行錯誤して
薬をペースト状の介護食に混ぜて舌の上にちょこんと置くと
それをハッピーがペロッと舐めて自然に飲み込んでくれるという方法を覚えて
それからは無理矢理喉の奥に薬を混ぜた食べ物を押し込む事もなくなった・・・。
薬を飲ませるのも上手になった飼い主は
今なら上手にハッピーに薬を飲ませる事が出来るよ。
最初の頃はごめんね・・・。至らない飼い主でごめんね・・・。
嫌な思いさせちゃったよね・・・。


そして・・・2つ目は
ハッピーが幸せに旅立っていったにも関わらず
その後もこうしてハッピーのことを思い出しては毎日泣いてること・・・。

もしも天国というものがあるのなら
今頃は先に逝った、たくさんの友達や
生きてる時は叱られてばっかりだったチェリーお姉ちゃんと会って
今度こそは仲良くやってるはずなのに
私は下界で、こんなに毎日泣いてばかりいたら、ハッピー心配しちゃうよね・・・。
ごめんね。

でも・・・、会いたいなぁ。
会えなくて・・・寂しいなぁ・・・。
すごくすごく寂しいんだよ・・・、ハッピー・・・。


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エイジア エンジニアという人達の、こんな歌を見つけた。

犬のうた 〜ありがとう〜  by エイジア エンジニア

初めてこの歌を聞いた時は、かぶるところが多くて、号泣してしまって
今も、この歌を聴くと必ず涙してしまうけど・・・
この歌を聴いても泣かなくなる頃・・・私も少しだけ前に進めるのかな・・・。


土砂降りの雨があがったら、虹が出て

その虹の橋のふもとで、いつかまたハッピーに会えるのかな・・・。会いたいな・・・。

いつか、きっと・・・。



(2018.2.23)









ハッピーが星になった日」 2018.4.11UP


それは2018年2月5日。寒い冬の夜だった。
静岡では滅多に朝、氷なんて張らないのに、ここ数日間はとても寒い日が続き
何日も氷が張るような寒さだった。

夜8時20分頃
2階にある自分の部屋にいた私。
1階のリビングで寝ていたハッピー。
リビングにいた父の「ん?」という声に気付いた2階にいた私は
すぐ階段を下りて行った。
ハッピーがリビングの絨毯の上でウンチをしてしまっていた。

思えばハッピーが家の中で粗相をしてしまうなんて今までほとんどなかった。
見ると絨毯の上に黒い下痢便・・・。

その黒い下痢便を見て私はすぐ思った。

もしかして・・・

カニババ・・・!?


嫌な胸騒ぎを感じつつ
ごめんね、ハッピー、トイレ行きたかったんだね!と思い
「ハッピー!おいで!外行こう!」
と言うと、リビングでウロウロしていたハッピーはすぐに私の側に来た。
急いでハッピーにリードをつけると
ハッピーは少しよろめきながらも玄関の段差を降りた。
庭に出たハッピーは、芝生の上でジッと立ちすくんだまま
ジッと夜空を見上げたまま立っていた。
「もういいの?ウンチしなくていいの?・・・ハッピー?」
そう声をかけてもハッピーは身じろぎもせず
ジッと空を見上げたまま立っていた。
その後ろ姿を見つめていた私。

どの位、その場に立っていただろうか・・・。

突然フラフラッと崩れ落ちたハッピー。

「ハッピー!!!」

私は急いで後ろからハッピーの体を支えた。
今までもフラフラッとよろける時はあったが、
この時は支えたハッピーの体にもう力はなかったのがわかった。
私は急いでハッピーの体を抱き上げ家の中に入った。

今までは重くて、こんなお姫様だっこなんてできなかったのに
お姫様だっこして持ち上げたハッピーの体は軽かった・・・。
年末、病院に連れて行った時、それまで23kgだったハッピーの体重は
すでに19kgになっていたからね・・・。

私は1階に敷いてあったハッピーのベッドマットの上にハッピーを寝かせた。
でもすでにハッピーの体はグッタリしていて
ほとんど動いていなかった・・・。

ハッピーの最期の時だと悟った私は
ハッピーの頭を、顔を何度も何度もなでながら
「ありがとうね・・・。ハッピー。ハッピー!ありがとね・・・。」
何度も繰り返しそう言った。それしか言えなかった。

とうとう恐れていたこの瞬間が来てしまったらしい・・・。

絶対にきてほしくなかった瞬間・・・。
でも命あるモノには必ずやってくる瞬間・・・。

やがて大きな息を一息つくと、ハッピーは永遠に動かなくなった・・・。


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あの時、ハッピーが見上げていた夜空からは
きっと天使がハッピーを迎えに降りて来ていたのが見えていたんだね・・・。

そして天使がハッピーを、星空に連れて行ってしまったんだね・・・。

フランダースの犬のラストシーンを思い出した。


天使が空から降りてきてネロとパトラッシュを空に連れて行くシーン。


パトラッシュと一緒に旅立てたネロは幸せ者だ。
2人で一緒に行けたんだから寂しくはないよね。



でも、天使は、ハッピーだけを連れて行ってしまった・・・。
私一人残して・・・。

ハッピーは1人で寂しくない?

向こうの世界ではたくさんの友達がいるから平気なのかな・・・?

私は寂しいよ・・・。

これからも冬の夜空を見上げるたびに
きっとハッピーのことを想うんだろう・・・。

あの日、ハッピーが死ぬ間際に見上げていた冬の夜空。
私は決して忘れることはないだろう・・・。


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ついこの間、念願だったゴールデンレトリバーの仔犬を連れてきて
一緒に暮らし始めたばかり
なのに
 

あっという間に14年が過ぎ、





仔犬だった犬は老犬になり、

そしてその生涯を終え・・・

私に看取られながら私の腕の中で息を引きとった。

寒い冬の夜、ハッピーは星になって天国にいってしまった。

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ハッピーが死んでしまう間際は、きっと
「ハッピー!起きて!」
って泣き叫ぶのかと思ってたけど
思ったより静かな私がいた・・・。
「ありがとうね!ハッピー!ハッピー・・・。ありがとね・・・。」
って言いながら静かに流れてくる涙は
物凄く悲しいはずなのに
ハッピーの最期まで一緒に居られて、
最後まで、いっぱい愛して愛されたという達成感みたいなものにも満たされた
不思議な感覚の涙でもあった。

逝かないで!とか、死なないで!とか、
今まですごく頑張って生きててくれたの知ってたから・・・もう言えなかったし
ハッピーとの生活に後悔なんて何もなくて・・・
あるのは感謝だけだった。

私の元に来てくれてありがとう。
いつも一緒にいてくれてありがとう。
たくさんの思い出と経験をありがとう。


「長生きしてネ!ハッピー。」
ハッピーがまだ元気な頃からずっと事あるごとに、そう言ってた私の言葉を聞いてくれて
ハッピーは14歳6ヶ月という大型犬にしては長生きともいえる年齢まで
こんなに頑張って長生きしてくれたんだよね?

最後の1ヶ月間は抗がん剤を服用しながら
3日に一回は点滴をしてもらいに動物病院に通いながら

その細い腕に点滴の針を刺したまま
その生涯を頑張って生き抜いてくれた。

ハッピー、ありがとう。
頑張って長生きしてくれてありがとう。
ハッピーと共に過ごした14年3ヶ月という日はすごくすごく楽しくて
いつも幸せだったよ。ありがとう。


「ありがとう。ハッピー。ありがとう。ありがとね・・・。」

そう言いながら私は何度も何度も、もう動かないハッピーの顔を撫でた。

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そして、ひとしきり泣いたあと、リビングにいた父に
「ハッピー死んじゃった・・・。」
と言いに行くと、父は
「お?さっきまで歩いてたじゃないか?」
とハッピーの姿を見に来た。
ハッピーが病気で余命宣告を受けたのを知らなかった父は
ハッピーが横たわって動かない姿を見て
「さっきまで歩いてたのに、なんで死んじゃっただ?」
と、言った。

「病気だったんだよ・・・。歳なのもあるけど・・・。」

すると父は

「そうか・・・。
・・・俺も死ぬ時は、こんなふうに死にたいなぁ・・・。

・・・こんなに幸せな犬は今までいなかったぞ。
今まで飼ってきた犬の中で、この犬は一番幸せだったな。」


と言ってハッピーの頭をそっと撫でた。






2018.3.21 「ハッピーのことを気にかけてくださっている人達へ」

ハッピーのこと、気にかけてくださりありがとうございます。

実は、ハッピー・・・
先月の5日に旅立ってしまいました・・・。
抗がん剤を飲みながら、ハッピーはすごく頑張ってくれていたんですけど・・・。

ハッピーは死んでしまったけれど、
今もハッピーの遺骨と一緒に毎週末、白馬に行っています・・・。

でも、ハッピーがいなくなった喪失感がすごくて・・・
その空虚感からか
大好きだったはずのスキーも滑ってはいますけど
あまり楽しくありません・・・。
ダンスやエアロや旅行も全て何もかもやる気がしません・・・。

14年間、朝起きてから寝るまでずっと常に横にハッピーが居たので
ハッピーのいない生活が寂しくて、慣れないし
ハッピーを思い出して泣かない日はまだ1日もありません・・・。

ハッピーが旅立った夜のことも
それからの私のことも
日記には書いていたんですけど
ホームページ上にアップすることで、
その現実を受け入れてしまうような気がして・・・
なかなかアップできませんでした・・・。

もう少ししたら
ハッピーの死をちゃんと受け止めて
ハッピーが旅立った夜のこと、それからの私のこと、を書いた日記を
アップさせようと思っています。
また読んでやってください。

今は、いつか時間の経過だけがこの悲しみを薄れさせてくれると信じて
日々過ごして行こうと思ってます。

1月2月はほとんどスポーツクラブにも行ってなかったけれど
今月から少しずつ行きはじめました。
ボチボチやっていきます・・・。

ハッピーのこと、気にかけてくださり 本当にありがとうございました。 m(__)m



心はいつもそばに





2018.1.23 「そして飼い主、帯状疱疹になる・・・」

帯状疱疹とは
ほとんど誰もが持っている水痘(すいとう)・帯状疱疹ウイルスによって起こる。
水ぼうそうにかかったことのある人なら、誰でも帯状疱疹になる可能性があるんだけど
精神的なストレスや、肉体的な過労などが引き金となって
ウイルスに対する免疫力が低下するとなる病気だってさ・・・。
(加齢も原因のひとつだけど、それはあえて書きたくないところだ)

私は、その帯状疱疹(たいじょうほうしん)という病気になった・・・。

原因は・・・
ここ連日のスキーの肉体的疲労は毎度の事だけど
(いや、年々、その疲労度が増してくるなぁーとは思っていたけど)、
精神的疲労(精神的ストレス)は・・・
何よりハッピーの余命宣告なんだろう・・・。
愛犬の余命宣告で私の精神は、自分で思っていた以上にダメージを受けたんだなぁ・・・
と改めて思い知らされた・・・。

帯状疱疹になる人はストレスや疲労により免疫力が下がっている状態なので、
慢性的に不規則な生活を送る事や、過度の疲労、
心労を要する作業を続ける事は控えた方が良い

規則正しい生活と、十分な栄養の摂取、
心の安静が必要である
とか書かれているけど、こればっかりはどうしようもない・・・。

どうしようもないよ・・・(涙)。

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年末にハッピーの余命宣告を受け
年末年始のスキーに出掛け、3連休のスキーも終わり頃
泊まっていた白馬のロッジで見つけた右膝の内側の小さな赤いアザ。

後から思えば、この小さなアザが帯状疱疹の初期症状だった。
それは、ハッピーの余命宣告を受けてから一週間後に現れたのだから
精神的な事柄が引き金となって・・・の帯状疱疹の病気の現れ方が如実だ。

その時は、スキーをしてるとよく出来る打ち身のアザだと思い
(どこかにぶつけちゃったかな?)と、いつものように何も気にしてはいなかった。

そして、その日、何故か
お腹まわりにチクチクピリピリしたのを感じていたもんだから
(なにこれ?帯状疱疹?)
とチラッと思った 。
それは今は亡きママが、何年か前にこの帯状疱疹になっていて
その症状を目の当たりにしていた私は
ママが発疹の出来ていたお腹まわりがチリチリピリピリする、と言っていたのを
思い出したからだ。

あの頃、ママのお腹からまわり背中にクリームを塗ってあげたなぁ・・・
と遠い記憶を思い出す・・・。
肌着を裏返しにして着ているママに
「ママ、肌着が裏返しだよ?」
と言って笑ったら
「皮膚に服の縫い目がチクチクして痛いから、こうしてるの。」
と答えたママ。
「へぇーーーー。」
と言って聞いていたものだけど、
まさしく今の私のお腹まわりがそんな感覚に襲われていた。
肌着の縫い目が・・・、ブラジャーの縫い目のところが・・・
肌に当たって、擦れて痛いような嫌な感覚・・・。

しかし、お腹まわりには発疹も何も出来ていない。
キレイなすべすべのお腹のままだったから、(まさかね・・・)とは思っていた・・・。

ただ連日のスキーで体のあちこちが痛くて、腰が痛い・・・。
そして、以前負傷した右膝も滑りすぎるとどうしても痛くなってくるしで
なんか右足全体に力が入らない感じになっていて
天気も悪いし視界も悪いしで、もう全然滑る気がしない。
なので、3連休の最終日は滑らずに帰ってきた。

静岡に戻って、次の日は火曜日だった。

夜、いつものようにジムに行き
今年から新しく始まったスタジオプログラム【シルクサスペンション】に参加。

これまた想像以上にキツイ!すごいあちこちの筋肉に効いて
腹筋も内モモもプルプルで、翌日すごい筋肉痛!
久しぶりのあまりの筋肉痛に一緒にレッスンを受けた友達にメールで
「筋肉痛すごいよね!?」
と思わず聞いてしまったほど。友達から
「痛いよー!」
と返事があり(自分だけじゃなかったー。よかったー。)と安心していた。

しかし、その日、ふと、先日できていた右足の膝の内側のアザを見ると、
その辺り周辺に小さなアザがいくつも増えているではないかっ!?
しかも、そのアザ達のところに小さな水ぶくれがポツポツできているではないか!?

( ̄□ ̄;)!!

こっ・・・こっ・・・これは・・・もしかして・・・!?まっ・・・まさか!?

ネットで『帯状疱疹・画像』で検索して見てみると・・・

・・・似ている!

私の右膝下に広がっているアザに出来ている発疹に似ている!
似過ぎている・・・(死)。

帯状疱疹は治療は早ければ早い方がいい、と書いてあったので
すぐにでも病院に行きたかったが
その日は水曜日・・・どこの皮膚科もお休み・・・。( ̄□ ̄;)!!

悶々とした気持ちで一日を過ごす。

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次の日、すぐ病院に行って
症状を言って足の発疹を見せると医者はスグ
「帯状疱疹だね」 と言った。

やはり・・・。( ̄□ ̄;)!!

「痛みはありますか?」
と聞かれて、スキーや筋トレでの痛みはあるけど
発疹が出ている右膝下の部分には痛みなんて全くなかったので
「痛みはないんですよー。」
って言った自分。

で、処方された薬は一週間分の塗り薬と
ウイルスによる感染症の治療に用いる薬(アメナメビル錠)と
末梢神経障害を改善する薬(メチコバール錠)。
痛み止めは処方されなかった・・・。

しかし後日、薬を飲み始めて、スキーをしてないにも関わらず、
筋トレから日がたっているにも関わらず
なかなか消えない体の筋肉痛
(;゜〇゜) ハッ となる。

右足のスネのアザを日曜日に見つけて、
(てっきりスキーのブーツの打ち身からかな? )と思っていたのも
月曜日になって、それがいくつかできてきて
(靴下でかぶれちゃったのかな? )と思っていたのも
帯状疱疹の影響だった。

腰が痛くて、
「右足に力が入らない感じ・・・。」 となっていたのも
もしかして・・・腹筋や足ももが、いつまでも筋肉痛のような痛さなのも
(もちろんシルクサスペンションの影響もあるとは思うけど)
まさか、これも・・・帯状疱疹の痛みなのでは・・・?!

普段、スキーや筋トレで体を痛めつけていたもんだから
帯状疱疹の痛みだとは思わずに
「痛みはないんですよー。」
って言ってた自分だったが
この痛み・・・帯状疱疹からくる痛みじゃん・・・。
どーりでいつまでたってもお腹の筋肉痛が消えないと思ったよ・・・。
痛いよー。痛いよー。

最初に病院に行った時に
「痛みはないんですよー。」
って言ったので痛み止めは処方されなかったので、そのまま我慢すること1週間。
その後、2回目に病院に行った時に
発疹も少しずつ良くなってきていたし、痛みも前ほどじゃなかったから
いまさら痛み止め?飲むのもなんだかなー・・・
って感じだったけど一応まだ痛みはあったので
「前回、痛みありますか?って聞かれた時
スポーツでの筋肉痛だと思って、ないですって答えたけど
実は、帯状疱疹の痛みだったっぽいです。
かなり引きましたけど、まだ痛いです・・・。」

って言うと、医者は薬を出してくれた。

最初に出された薬のウイルスによる感染症の治療に用いる薬(アメナメビル錠)と
末梢神経障害を改善する薬(メチコバール錠)はもう処方される事はなく
今度は痛み止めらしい別の薬を一週間飲み続けた。

あとは
精神的な疲労であるハッピーの余命宣告&介護の日々は
どうしたって消すことはできないから
肉体的な疲労だけでも取り除こうと
スポーツクラブは一切行かず(体が痛いから行く気も失せる)
スキーに行ってもコブは一切滑らず(体が痛いからコブを滑る気力もない)
温泉に行きまくり電気風呂に入ったり温めたり、とにかく体の療養に努めた。

そのせいなのか1月の終わりには、
発疹のできた体の右側の痛みが徐々に薄れ
ようやく体の痛みも発疹も右半身の皮膚に感じる変な神経の痛みも治ってきた。

帯状疱疹の現れた原因である精神的な疲れはなくなっていないけれど
薬を飲めば徐々に治っていくもんなんだなぁ・・・。

ハッピーの余命宣告を受けてから一週間後に現れた帯状疱疹。
私の場合は一ヶ月ほどで後遺症もほとんどなく治ったけれど
知り合いのおじさんは帯状疱疹が顔に出来て、
今も発疹の痕も神経痛も残ったままで
運転免許も返納し仕事を辞めざるをえなかったと言っていた。
年のせいもあるのかもしれないが
帯状疱疹だと気付かずに処置が遅くなってしまった事も良くなかったらしい・・・。
帯状疱疹になると人によっては寝返りが出来ない位、痛みがあったり
入院したり(親戚のおばさん)、点滴をしたり
いつまでたっても神経痛が消えない人もいる位だから怖い。

何年か前、ママがあの時、帯状疱疹になった時は、入院するほどではなかったけれど
どの位つらかったのだろう・・・と思うと
もっと優しくしてあげていれば良かった・・・と今更ながら思う。

帯状疱疹になる人はストレスや疲労により免疫力が下がっている状態なので、
慢性的に不規則な生活を送る事や、過度の疲労、
心労を要する作業を続ける事は控えた方が良い

規則正しい生活と、十分な栄養の摂取、
心の安静が必要である

ママ、これ↑あの時、できていたかな?
至らない娘でゴメンね・・・。

ママが以前、帯状疱疹になったおかげで、帯状疱疹というものをなんとなく知っていたからこそ
すぐ気づき、早めに適正な処置を受けた事で大事には至らなかった私。

ママに感謝。ありがとう・・・。





2018.1.1 「ハッピーと、きっと最後のお正月・・・」

ハッピーの急遽の病院通いのため
予定より1日遅れて、12月30日の夜に静岡を出発し
日付が変わって深夜2時近くに白馬に到着。
31日の大晦日は昼間少しだけ滑り、
迎えた新年。

ハッピーと2018年の初日の出in白馬


なんとか、ハッピーと新年を迎える事ができました。
おめでとう。ハッピー。
頑張っていてくれて、ありがとう。ハッピー。大好きだよ。





2017.12.29 「愛犬ハッピーへの余命宣告」

明日から年末年始は白馬だよ♪という12月29日のこと。
愛犬ハッピーが余命宣告された。

確かに今年のゴールデンウィークが終わった頃、
急に元気がなくなってきたのを心配して、その時に血液検査をしてもらった。
結果は甲状腺の数値が悪いという事で、ハッピーはその時からずっと甲状腺の薬を飲んでいる。

それでも毎週、一緒に旅行に出掛けたし
夏頃までは走って、はしゃいだりする事もあった。
少しずつ元気がなくなってくるのは年のせいだから仕方ないのかなぁ・・・なんて思っていた。

12月に入って、時々、フラッと倒れこんだりするようになって
もちろん走らなくなって、吠えることもしなくなった。
食欲が徐々に落ちていって、クリスマスが終わり、3日間、ほとんど食べ物を食べなくなった時
(これは絶対におかしい!)と、さすがに心配になって、
甲状腺のお薬を出してくれてる病院(家の近く)とは別の、
信頼のおけるセカンドオピニオン的な動物病院(家から少し遠い)に行ってみた。
明日から年末年始は白馬だよ♪という12月29日のことだった。

そこで血液検査や、CTや、レントゲンなどで診てもらった結果・・・
獣医さんから
「貧血もあるんだけど・・・。ちょっと・・・あんまり良くない事が・・・」
から始まって、色々な数値がかなり悪い状態で
検査の結果、血管肉腫だという事を告げられた。

たくさんの説明を受けて、最後に
「余命どの位とはハッキリ言えないけど・・・、
ゴールデンで14歳って、かなり頑張っているし
最後は好きなものを食べさせて、暖かい所でのんびり過ごさせてあげて・・・。」

と言われた。

溢れそうになる涙をこらえるのが精いっぱいだった。


ママが亡くなって2年4ヶ月。三回忌も済み、その悲しみをやっと受け入れる事が出来そうだった矢先・・・。
ママが亡くなった時から、もう神様なんて信じてないけど
もし神様がいるとしたら、神様は私の大切なものを次から次へと奪っていってしまう。

ハッピーを飼い始めた時から
いつかこんな日が来るのは分かっていたし覚悟もしていた。
まだ仔犬のハッピーを見つめて、もうその頃からハッピーとの別れの時を想像しては涙ぐんだ。
『一般に大型犬の平均寿命は10歳前後で、13年生きたら長生きの方だよ』
って言われてて、10歳の誕生日を過ぎた頃から
なんとか平均寿命を超えてくれた!やったね!と思ったし
13歳、14歳の誕生日を迎えられて本当に嬉しかった。

ただ、その頃になるとハッピーと一緒に遊んでいた近所の犬達が
次から次へ亡くなっていき、寂しかったね・・・。


一番仲の良かったビーちゃん(♂)

私のママの亡くなった翌月に
虹の橋を渡って行ってしまった時は
悲しかったなぁ・・・。
いつも一緒にお散歩してたから・・・。

ハッピーより1つ年上のビーグル犬。

つい一ヶ月前にも散歩の時によく会う柴犬(16歳)の飼い主さんから
「うちの、この間、死んじゃったんだ・・・。」
って聞かされたばかりだった・・・。

そして・・・ある日気づくと、ハッピーが一番年上になっていた。

覚悟はしていたけど、そろそろそんな時期なんだって薄々感じていたよ。
でも、やっぱり、いざその時がもうすぐ・・・ってなると悲しくて悲しくてたまらない。

愛犬家の人達は、皆、どうしてこの悲しみを乗り越えていくんだろう・・・。
また今更ながら愛犬のやがて来るだろう死期を受け入れられずもがいている私がいる。
前に飼っていた愛犬ラッキーの死の時に、あんなに悲しくて辛かったのに
もうあんな悲しい思いは二度といやだ、と思いながら
それでもハッピーをまた飼い始めた時に
また悲しい思いをしなきゃならないんだよって分かっていたはずじゃないか!?

わかっていたさ・・・。
いつか、ハッピーと永遠のさよならをしなきゃいけない日が必ず来ることは・・・。
わかっていたさ・・・。
わかっていたけど・・・。


2017年 夏 ハッピー。
この時はまだ全然食欲があったね。

おねだり大魔王のおねだり表情。
キラキラしてる目線の先は
ミーコカメラマンの
手に持ってるバーベキューしたお肉。

今は大好きだったお肉もケーキも
拒否して食べない時があるほど
食欲もない・・・(涙)。

もう二度とハッピーと一緒に
夏という季節を過ごす事は出来ないの?

どうか、せめて、ハッピーと2018年のお正月を迎えられますように・・・。



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